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大河ドラマ『べらぼう』蔦屋重三郎に学ぶ、編集力と現代マーケティングへの応用

作成者: 大住 浩章|2025/11/21 0:00:00

NHK大河ドラマ『べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~』第43話・44話では、蔦屋重三郎・歌麿・源内・松平定信といった主要人物たちが、人生の大きな岐路に直面します。
吉原の復興をかけた蔦屋の出版戦略、歌麿との関係悪化、源内生存説という突如広がる噂――。
そして、蔦重自身に訪れる痛ましい喪失。

これまで積み上げてきたものが揺らぎ、登場人物一人ひとりが“自分が守りたいもの”と向き合うことで、物語はより深く、より重層的な展開を見せます。

しかし、この2話の本質は単なる悲劇や混乱ではありません。
むしろ、ブランドやコミュニティが大きな転換点を迎えたとき、どのように価値を再構築し、人を再び惹きつけていくのか――という「マーケティングの核心」が鮮明に描かれています。

  • 浮世絵を「場を再生させる広告媒体」として活用する発想

  • 絵師(クリエイター)が版元(プラットフォーム)を選び始める構造

  • “噂”や“草稿”が人々の興味を刺激し、自然な広告として広がる仕組み

  • 技術投資による品質向上の重要性

これらは、現代の広告・SNSマーケティング・ブランド戦略とも驚くほど重なるものです。
以下では、より深くあらすじを振り返りつつ、そこから導かれる現代的な学びを丁寧に読み解きます。

参考・引用:大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」 - NHK
https://www.nhk.jp/p/berabou/ts/42QY57MX24/
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大河ドラマ『べらぼう』蔦屋重三郎に学ぶシリーズ

特別編 引札とは?江戸時代の広告戦略と現代マーケティングへの応用

目次 閉じる

1.第43話「裏切りの恋歌」



あらすじ

喪失と断絶が重なる中で浮かぶ、蔦重の“信念”と“限界”

吉原復興のため、蔦屋重三郎は歌麿に女郎絵を大量に描かせる企画を進めていた。
吉原に新たな賑わいを取り戻し、江戸の娯楽市場を再び盛り立てるための戦略である。
しかし、駿河屋で写生を始めた歌麿は、蔦重の「どう売るか」「どう見せるか」を優先する姿勢に反発し、ついには冷たく「恩の返し方は人それぞれ」と突き放す。

この言葉には、歌麿自身が抱える表現へのこだわり、そして“作品が誰のためのものか”という価値観がにじむ。
蔦重は苦悩しながら説得を試みるが、歌麿が口にしたのは驚くべき要求――
「蔦屋をくれ」 というものだった。

蔦屋の名を守るために蔦重が「これだけは譲れない」と拒否した直後、物語は一気に悲劇へ傾く。
妻・ていが突然の早い陣痛に襲われ、産婆さえ「助かるか分からない」と告げるほどの危険な状態に陥る。
蔦重は神棚の前でただ祈ることしかできず、願い虚しく子どもの命は短く消えてしまう。
ていは失意と痛みに沈み、蔦重は何よりも大切な家族を守れなかった事実に胸を引き裂かれる。

一方、政治の世界でも裏切りが連鎖する。
対ロシア外交でラスクマンを巡る処理に奔走した松平定信は、老中辞職を願い出るが、家斉らに裏切られ、かねてより夢見ていた大老の座も閉ざされる。
それぞれの理想と現実が大きく乖離し、登場人物たちは「守りたかったものを失う」という共通の苦しみに向き合うことになる。

 

現代に通じるポイント - 喪失と転換点こそ、ブランドの再構築が必要になる -
 
1. 「女郎絵の大量制作は“場の再生”を目的としたコンテンツ戦略だった」

江戸時代の課題と対応策

遊興規制と景気悪化により、吉原の賑わいはかつてないほど失われていた。
蔦重は、歌麿の女郎絵を大量制作し、街中に流通させることで、吉原の魅力を再度訴求しようとした。
絵は単なる美術作品ではなく、吉原ブランドを再生させる広告媒体して機能したのである。

現代の課題と対応策
広告離れが進み、企業が消費者にリーチすることが難しくなっている。

その中で、SNS投稿、ショート動画、ブログなど「可視性の高いコンテンツ」の大量投下はブランド活性化の王道施策である。

江戸時代と現代の比較
江戸時代における浮世絵は、単なる絵画作品ではなく、

「人の興味を喚起し、行動を誘発するメディア」として街の中に流通していました。
これは現代におけるSNS投稿の役割とほぼ同質です。

● 浮世絵=江戸のSNS(情報の拡散装置)

浮世絵は、
・見た人の心を動かすビジュアル性
・印刷によって大量に流通できる拡散性
・評判が評判を呼ぶ口コミ性
絵柄によって“トレンド”を生む影響力

といった特徴を持ち、現代のSNS投稿と同じように「情報を街中に広げる装置」でした。美人画が流行れば髪型や衣装が真似され、役者絵が売れれば芝居の人気が跳ね上がる。まさに、江戸の人々が“タイムラインで流行を知る”感覚だったといえます。

● 吉原=ブランド(プロダクト)

吉原は単なる遊興の場ではなく、
江戸の人々にとって「文化・憧れ・物語」が詰まった巨大ブランドでした。

・“吉原に行くこと”が一つのステータス
・遊女の序列がブランド価値を形成
・吉原の情報は常に人々の会話の中心
消費者の期待と幻想で価値が維持される

これは、現代企業のブランド――Appleやスターバックスのような存在と同じで、
「購入したい」「触れたい」という気持ちそのものが価値」になるタイプのブランド構造です。

そして浮世絵は、吉原ブランドの魅力を視覚化し、街中に広げる「広告」であり「広報活動」でした。

● 蔦屋重三郎=編集者(マーケター)

蔦屋重三郎の役割は、現代企業で言えば
マーケティング責任者(CMO)兼 編集長(クリエイティブ・ディレクター)
にあたります。

蔦重は、
どんな題材なら売れるか、どの絵師を起用するか、どのタイミングで出すか、どう流通させるか、どう社会文脈と結びつけるか、といった“戦略的編集”を行い、作品と市場をつないだ人物です。

現代で言うと、SNS運用、コンテンツマーケティング、ブランディング、企画・クリエイティブ管理を一人で担っていた存在とも言えます。

● なぜ「コンテンツの力」という構造は変わらないのか?

江戸も現代も、
人が行動を起こすための原動力は「情報」ではなく「物語」だからです。

・美しい女性の絵を見て吉原に行ってみたくなる
・人気役者の絵を買って芝居見物に行きたくなる
・噂話が広まって町中がざわつく
これは現代の行動とまったく同じです。
SNSの話題を見て店に行きたくなる
・YouTubeのレビューを見て商品を買いたくなる
・口コミやバズで行列が生まれる

江戸の浮世絵も、現代のSNSも、
「知らなかった世界を知り、行動したくなる」という点で、同じ機能を果たしています。

江戸と現代は異なる時代でも“構造”は同じ

江戸時代 現代
浮世絵が拡散メディア SNSが拡散メディア
吉原という巨大ブランド プロダクト・店舗・企業ブランド
蔦屋重三郎=マーケター CMO・SNS担当・編集者

江戸の街で人々を動かしたのは、コンテンツ(浮世絵)× 場(吉原)× 編集(蔦屋)
という三位一体の仕組みでした。

そして現代でも、コンテンツ(投稿)× ブランド(商品)× マーケティング(戦略)
という構造は全く同じです。

“場所を盛り上げるためのコンテンツの力”
これは250年経った現代でも、決して色褪せない普遍の法則なのです。

 
2. 歌麿の発言に見る「クリエイター主導のパワーバランス」

江戸時代の課題と対応策

歌麿の「他の本屋でも絵を出したい」という言葉は、単なる対立ではなく、
“絵師自身が版元を選べる立場にあった”ことを示しています。
当時の出版業界では、誰の作品かが売れ行きを左右し、特に歌麿は“名前だけで価値が生まれる”存在でした。

つまり、版元である蔦重にとっては、歌麿を確保できるかどうかが事業の安定に直結していたのです。
そのため蔦重は、彫り・摺りの精度を上げるなど品質面の改善や、制作環境の調整を重ね、歌麿にとどまってもらおうと努めました。
しかし、作品の扱い方や制作方針に対する価値観のずれは深く、結果的に二人の関係は決裂へと向かいます。

現代の課題と対応策
現代でも、人気インフルエンサーやクリエイターは企業以上に強い影響力を持ち、
「企業が選ぶ側」から「クリエイターが選ぶ側」へ主導権が移っているのが実情です。
制作環境や表現の自由度、編集力など、プラットフォームとしての魅力が十分でなければ、才能はすぐ別の企業・媒体へと流れていきます。

江戸時代と現代の比較
歌麿の発言は、すでに江戸時代から「才能を持つ側が強い市場」が存在していたことを如実に示しています。版元ではなく、人気絵師の方が交渉力を持つ構造は、現代のクリエイターエコノミーと驚くほど同じです。

 
3. 規制によって揺らぐ市場をどう再定義するか

江戸時代の課題と対応策

吉原では、身請けや高額遊興といった“大きな消費”が政治的規制によって制限され、従来の商売モデルが大きく揺らぎました。これにより茶屋や遊女屋は客単価を上げにくくなり、吉原全体の魅力も低下していく状況にありました。

こうした中で蔦重が着目したのは、規制そのものではなく、「人々が吉原に抱く憧れや、娯楽を求める欲求」という本質的な需要です。
蔦重は女郎絵を大量に流通させることで、吉原を“訪れる場”としてではなく、
絵を通じて楽しむ文化=新しい商品価値として再定義しました。
規制があるからこそ、浮世絵という形で吉原の魅力を外へ広げられると考えた戦略的対応と言えます。

現代の課題と対応策
現代でも、パンデミックや働き方の変化によって、

・実店舗での消費が落ち込む
・オンラインへ需要が流れる
体験価値の基準が大きく変化する
など、従来の消費モデルが通用しない局面が多く生まれました。

こうした状況では、「市場そのものを読み替える力」が求められます。
リアル消費が難しいならオンライン体験を拡張する、密を避ける生活の中で“家の外に行かない楽しさ”を作るなど、以前とは異なる価値の打ち出しが企業の生き残りを決めます。

江戸時代と現代の比較
江戸の吉原復興に向けた蔦重の戦略と、現代の企業が直面する市場変化の構造はよく似ています。

共通しているのは、「環境が変わった時に、従来の価値を抱えたままでは生き残れない」
という点です。

・吉原 → 遊興の場から“絵で楽しむ文化”へ
・現代 → リアル中心から“新しい体験価値”へ

つまり、時代が揺れる時こそ、ブランドの再定義が必要になる。
蔦重が行った「価値の読み替え」は、今の企業にも有効な考え方だと言えます。

 

2.第44話「空飛ぶ源内」

 

あらすじ

噂と物語が渦巻く中で描かれる“再生”と“希望”の兆し

ていは、出産の後遺症で食欲も戻らず、静かに体を休めていた。
蔦重にとっては、妻を支えながら店を存続させるという二重の重責がのしかかる。
そんな折、駿府出身の若者・重田七郎貞一が現れ、「源内は生きている」と衝撃的な言葉を口にする。

さらに朋誠堂喜三二は、源内が秋田で紙風船に乗り、そのまま蝦夷地へ向かおうとしているという奇妙な噂を伝える。荒唐無稽に思える話だが、源内という人物が持つ“破天荒なイメージ”と相まって、江戸中の人々を惹きつける「物語」として広がっていく。

一方、歌麿は蔦重との距離を縮めることができず、描いた絵を破り捨ててしまう。
関係修復に向けたていの助言(彫り・摺りの技術向上)も虚しく、二人の溝はさらに深まっていく。

そして物語は急展開を迎える。
蔦重は店先に「一人遣傀儡石橋」という草稿を見つけ、そこから江戸で起こった事件と七ツ星の龍、源内軒をめぐる“ヒーロー譚”が交錯した壮大な物語の存在を知る。
草稿はもはや“読み物の下書き”ではなく、人々の想像をかき立てる広告のような役割を果たし始めていた。

その後、安徳寺へ呼び出された蔦重は、徳川家基の手袋を提示され、“傀儡好きの大名”を討つための仲間に誘われる。集まったのは三浦庄司、長谷川平蔵、松平定信ら、江戸を象徴する名だたる面々。
物語は、新たな抗争と希望に向けて大きなうねりを見せていく。

 

現代に通じるポイント - 物語が市場を動かす――噂と草稿が広告に変わる瞬間 -
 
1. 源内生存説に見る“自然拡散型バズマーケティング”

江戸時代の課題と対応策

平賀源内はもともと“怪人・奇才”として人気があり、その人物像自体が強い物語性を帯びていました。
そこに「生きているらしい」「紙風船で蝦夷へ向かった」という噂が重なることで、人々は自発的に話したくなり、噂は一気に江戸中へと広がっていきます。

これは決して誰かがつくった広告ではなく、人々が“面白い”と感じた物語が自走して広まる現象でした。
七ツ星の龍や源内軒といったヒーロー譚が絡むことで、噂は娯楽としても価値を持ち、自然な拡散力を生んだと考えられます。

現代の課題と対応策
SNSでバズが起きる時、そこには必ず“物語性”が存在する。
共感、驚き、謎、信じたくなる感情――といった“感情を動かす仕掛け”が存在し拡散を生みます。

ただ情報を発信するだけでは拡散せず、
「人が語りたくなる物語性」があるかどうかが勝負の分かれ目です。
江戸の噂話と同様、現代のSNSも人の感情や興味を起点に広がっていきます。

江戸時代と現代の比較
口コミとSNS、紙とデジタルという違いはあっても、
“物語が人を動かし、情報が自然に広まる”という仕組みは同じ。
江戸はリアルな会話、現代はデジタルのタイムラインへ置き換わっただけで、拡散の本質は変わっていないのです。

2. 技術投資がブランド価値を決める
 
江戸時代の課題と対応策

ていは、歌麿との関係が悪化する中で、蔦重に対し、「彫りや摺りの技術を高めること」を提案します。
当時の浮世絵は、絵師の筆だけでなく、彫師・摺師の技術によって最終的な品質が大きく左右されました。

つまり、版元である蔦重のブランド価値は、技術力×制作体制=作品の完成度によって決まる構造にありました。品質を上げることは、歌麿の作品価値を高めるだけでなく版元としての信頼を維持するための本質的な投資だったのです。

現代の課題と対応策
現代の企業がSNSや動画広告を展開する際も同じで、

・映像の画質
・UI/UXの滑らかさ
・デザインの精度
・制作フローのレベル

といった“技術力”がそのままブランドの印象を形づくります。どれだけいい企画でも、品質が伴わなければブランドは評価されません。技術投資は「見えない部分の価値」を支える、最も本質的な競争力なのです。

江戸時代と現代の比較
蔦重が技術力で版元価値を高めようとしたように、現代企業も品質の差がブランドの差になります。
技術力=ブランド力
これは江戸期から変わらない普遍の原則だと言えます。

3. 草稿が市場を生む――プロトタイプがファンを巻き込む

江戸時代の課題と対応策

店先に残された「一人遣傀儡石橋」の草稿は、
現実の事件と物語世界を結びつけ、人々に“続きが知りたい”と思わせる魅力を持っていました。

未完成の構想や粗い物語であっても、
想像力を刺激し、人々の関心を集める「余白」があるため、読者や観客の間で自然に話題が広がります。
草稿はそのまま、読み物としての市場の“タネ”になったわけです。

現代の課題と対応策
ゲームのアーリーアクセス版、ドラマのティザー、プロトタイプの限定公開――
現代のマーケティングでも、完成前に“チラ見せ”する手法は極めて有効です。

未完成の段階で公開することで、
ファンが物語やプロジェクトの成長過程に参加できるという魅力が生まれ、コミュニティを形成しやすくなります。

江戸時代と現代の比較
江戸の草稿も、現代のティザーも、
「完成していないこと自体が、興味を生むコンテンツになる」という点で同じ構造です。

未完成こそ、最大の広告になり得る。
これは今も昔も変わらない創作の法則です。


 

3.第43話・44話から読み解く現代企業の戦略的示唆

 
 

蔦屋重三郎の“編集力”から見える3つの成功法則

第43話・44話で描かれた蔦屋重三郎の行動には、
現代企業にとっても重要なマーケティング・ブランド戦略のエッセンスが凝縮されています。
ここでは、蔦屋の振る舞いから導ける教訓を 3つの視点 に整理して読み解きます。

1. 「商品そのもの」ではなく「物語」を売る —— コンテンツ価値の再定義

蔦重は浮世絵を単なる絵画ではなく、
吉原という“場所”のブランド価値を伝える広告媒体として扱いました。
これは、商品単体ではなく、その背景にあるストーリーや世界観を“体験として提供する”という発想です。

現代企業で言えば、
・プロダクトの裏にある歴史・思想を伝えるブランドストーリーテリング
・企業や店舗の“世界観”をデザインするコンテンツマーケティング
・SNSでの継続的発信による価値の文脈化

こうした取り組みに近いものがあります。

モノではなく、物語が消費される時代。
蔦重はその構造を江戸でいち早く実装していたといえます。

2. 才能を生かす“プラットフォームづくり” —— クリエイターとの共創戦略

蔦重は、絵師である歌麿の才能が最大限発揮されるように、彫り・摺りの質を高め、出版の方向性を整えるなど、環境を整えることで才能を支える姿勢を示しました。

この視点は、現代の企業にとっても極めて重要です。

今の市場では、
・クリエイター
・インフルエンサー
・社内外の専門家
といった“個の才能”がブランドの成長を左右します。

だからこそ企業側には、
・自由に制作できる環境づくり
・才能を引き出す編集力
・長期的に信頼し合えるパートナーシップ構築
が求められます。

「人を活かせる企業」が市場で選ばれるという点で、蔦重の姿勢は現代に直結する示唆を持っています。

3. 未完成の物語・噂・草稿を“拡散の起点”にする —— バズの本質理解

第44話に登場する源内生存説や「一人遣傀儡石橋」の草稿のように、
蔦重は “人が語りたくなる物語”を拡散の起点として捉える感性を持っていました。

重要なのは、

・完成された情報より、未完成のほうが話題になりやすい
・人々の想像力を刺激する余白が、自然な口コミを生む
・物語の成長過程を見せることでファンが参加してくれる
という、現代のバズマーケティングの核心に通じる構造です。

現代でいえば、
・ティザー動画
・アーリーアクセス
・制作過程の公開(ビハインド・ザ・シーン)
・コミュニティ参加型プロジェクト
などが近い存在です。

蔦重は 「情報の未完成さ」を価値に変える視点を持っていたといえます。

蔦屋重三郎の“編集力”は、現代企業にも通用する普遍の戦略

蔦重の行動を3つの視点で整理すると、次のような戦略的示唆が浮かび上がります。

1.物語を売る
 モノではなく物語が人を動かす。ブランド文脈の設計が重要。

2.才能を生かすプラットフォームを作る
 クリエイターや専門人材の価値を最大化する環境づくりが企業の競争力。

3.未完成の物語をメディア化し、自然拡散を生む
 バズは「語りたくなる余白」から生まれる。ティザー・コミュニティ戦略の本質。

これらは単なる歴史解釈ではなく、現代のマーケティング・ブランド戦略に直結する実務的な知恵です。

 

おわりに:転換期にこそ問われる「ブランドとは何か」

第43話・44話は、『べらぼう』において、物語がいよいよ最終盤へと差し掛かる重要な局面です。
蔦屋重三郎は、大きな喪失、揺らぐ人間関係、変わりゆく市場という三重の困難に直面しながら、それでもなお“価値をつくる者としての眼”を失いませんでした。

この2話が投げかける問いは、単なる時代劇の枠を超え、現代のブランド経営やマーケティングに直結します。

  • 情報があふれる時代ほど、物語が人の心を動かす基軸になる

  • 技術投資や品質向上は、ブランド価値の揺るがぬ基盤である

  • 才能あるパートナーとの関係性は、長期的な競争力を左右する資産になる

  • 市場や規制が変化する時こそ、価値の再定義と視点の転換が必要になる

蔦重の姿勢は、単に“危機を乗り越えた人物”というだけでなく、
変化のただ中で価値を再構築する編集者の思考そのものでした。

そして、この視点は、いまの私たちにも同じように求められています。

急速に変化する市場環境の中で、
データやアルゴリズムだけでは測れない、
“人の感情”、“文化の文脈”、“語りたくなる物語”を理解し、それを事業に接続する力。

これこそ、現代のマーケティングが本来向き合うべき核心と言えるでしょう。

文化・経済・人を有機的につなぐ編集力――
蔦重が江戸という巨大都市の混乱期に見せたこの視点は、300年後の私たちにもなお響く普遍の価値を持っています。

物語が終盤に向けて加速する中で、蔦屋重三郎がどのように“次の価値”をつくっていくのか。
そして私たち自身は、変化の時代にどんな物語を編んでいくのか。

残り数話となった『べらぼう』は、その答えを探るためのヒントに満ちています。

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