2025年放送のNHK大河ドラマ『べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~』では、江戸時代の出版界を刷新した蔦屋重三郎の生き様が、文化の力で時代を変える可能性として描かれています。第21話と第22話では、幕政と蝦夷地の統治をめぐる国家戦略、文化の現場としての吉原、表現の危機に立たされた春町や、創作に挑む花魁・誰袖といった多様な人々の交錯を通して、「共創」や「地域」をめぐる課題が浮かび上がります。
本記事では、これらの展開を現代に通じる視点から、共創型表現、文化による調停力、そして地域と政治をめぐる戦略に照らして読み解いていきます。
ep.1 大河ドラマで注目が集まる蔦屋重三郎とは?引札で江戸時代の広告革命を牽引
ep.2 大河ドラマ『べらぼう』に見る蔦屋重三郎のマーケティング戦略と現代的教訓
ep.3 大河ドラマ『べらぼう』蔦屋重三郎から学ぶ江戸から令和の広告戦略とマーケティングの本質
ep.4 大河ドラマ『べらぼう』蔦屋重三郎から学ぶコンテンツとデータ活用のマーケティング術
ep.5 大河ドラマ『べらぼう』蔦屋重三郎から学ぶ5つのマーケティング手法
ep.6 大河ドラマ『べらぼう』に見る蔦屋重三郎のプロモーション戦略と江戸の集客方法
ep.7 大河ドラマ『べらぼう』蔦屋重三郎に学ぶ、競争と共創が生んだ江戸のブランド再構築戦略
ep.8 大河ドラマ『べらぼう』蔦屋重三郎に学ぶ、信頼と理念で組織を再構築する経営戦略
ep.9 大河ドラマ『べらぼう』蔦屋重三郎に学ぶ、江戸から続く創造と継承のビジネス戦略
ep.10 【新章突入】大河ドラマ『べらぼう』蔦屋重三郎に学ぶ、共創が支える文化インフラ戦略
政局では、田沼意次とその息子・意知のもとに、三浦が「蝦夷地を幕府直轄地とし、ロシアとの交易や鉱山開発を通じて財政再建を図るべき」とする大胆な提案を持ち込みます。この構想は、工藤平助の『赤蝦夷風説考』に基づいており、将来的な蝦夷地活用と北方防衛を視野に入れた国家戦略の一端を示すものでした。意知は慎重な姿勢を取りつつ、松前藩の密貿易(抜荷)の実態を暴くため、かつて松前で勘定奉行を務めた湊源左衛門に接触し、証拠となる絵図の行方を追い始めます。
一方、市中では、蔦屋重三郎が吉原の遊女たちに狂歌の魅力を伝える中、花魁・誰袖が人並外れた文才を発揮します。蔦重は、絵師・喜多川歌麿とともに『雛形若葉』という錦絵を制作しますが、色味の冴えなさから不評に終わります。さらに、ライバルである鶴屋の政演が出版した青本がヒットしたことで蔦重は落ち込みますが、摺師・七兵衛の協力を得て再挑戦の決意を固めます。しかし、出資者の意向により絵師を歌麿から政演に変更せざるを得ず、歌麿はその決定を快く受け入れ、蔦重との信頼関係が再確認されます。
その後、上野で開かれた狂歌会には、南畝や春町に加え、変名「花雲助」として田沼意知が潜入します。宴席では、政演の作品が絶賛されるなか、春町が酔って暴れ出す騒動が起こりますが、偶発的な放屁音が場の空気を和ませ、即興の狂歌が披露されるなど洒落と風刺の混在した場面が展開され、宴は和やかに収束します。蔦重は政演を絵師に据え、女郎と風景を描く新たな錦絵に挑むことを決めます。
田沼親子が目指した蝦夷地上知は、工藤平助という民間知識人の知見をベースに構想され、さらに現地経験者の湊源左衛門の協力を仰ぎ、実地情報を政策判断の材料として活用しました。幕政の一環として、情報と地域知の組み合わせによって財政再建と対外戦略を結びつけようとした点に特徴があります。
EBPM(エビデンスに基づく政策形成)が求められる現代では、中央主導の一方的政策から、地域の一次情報や生活者知を重視する「共創型地域戦略」へと進化しています。住民参加やローカルデータ活用が政策の信頼性と持続可能性を担保する時代において、田沼らの姿勢は先進的モデルといえます。
田沼意知が実地情報と知識人の提言を組み合わせて政策構想を進めた姿は、まさに現代のローカルガバナンスと同じ構造です。草の根知見と中央判断を接続する「中間人材」の重要性を示した先例であり、自治体・官民連携の原点として捉えることができます。
2.コンテンツ品質と競争力の再設計
蔦重と歌麿の作品『雛形若葉』は、色味が冴えず失敗に終わり、青本でヒットを飛ばす政演に敗北します。蔦重は原因を工程と色彩設計に見出し、摺師七兵衛らと再挑戦を図りますが、スポンサーの意向で絵師の交代が決定。コンテンツ制作において、品質管理・チーム構成・経済的制約の間で揺れる姿が描かれます。
コンテンツビジネスにおいても、品質の担保、制作陣の連携、スポンサーからの干渉は普遍的課題です。失敗事例をもとにナレッジ共有し、プロセスの改善と再挑戦を制度化するPDCAサイクルやアジャイル制作手法が求められます。
蔦重の試行錯誤と改善意識、そしてリソースの再編成による再挑戦の姿は、現代におけるプロジェクトマネジメントの教科書ともいえる動きです。創作の本質とは、「失敗から何を拾い直すか」にあることを示しています。
3. ユーモアと風刺による緊張緩和のマネジメント
狂歌会で春町が暴れ、緊張が走るなか、偶発的な放屁音が空気を和らげ、春町が即興で狂歌に昇華させたことで、場は笑いと一体感に包まれます。狂歌という文化が、対立から調和への「媒介装置」として機能した象徴的場面です。
現代でも、プロジェクト推進中の対立や多様性の中での議論において、空気を緩めるユーモアや文化的共有体験が重要な調停ツールとなっています。リーダーやファシリテーターには、感情の変換スキルが不可欠です。
文化が“場の空気を整える戦略”として活用されている点で、江戸の狂歌と現代のナラティブファシリテーションは地続きです。蔦重の文化設計者としての動きは、組織内ファシリテーションのモデルとして学ぶべき要素を持っています。
春町は筆を折り、創作の世界から身を引いたまま、孤独に沈んでいました。蔦重と歌麿は彼を心配し、幾度となく訪ねて説得を試みますが、「戯けることに向いていない」と頑なに心を閉ざし続けます。そんな春町に対して、喜三二は「春町先生がいないと寂しい」と素直な言葉で訴え、歌麿も寄り添い続けることで、少しずつ心を開いていきます。
蔦重は、春町の皮肉と文字遊びという特異な才能に着目し、それを生かした新たな出版企画『廓ばかむら費字盡』を提案。春町は再び創作に立ち上がり、政演とも和解を果たします。
一方、花魁・誰袖は、青本を自ら書いていることを蔦重に明かし、戯作者を目指したいと願い出ます。さらに田沼意知には、松前藩の弟君を使って抜荷を行うよう進言し、「証拠を掴んだら落籍する」という賭けにも出ます。
年の瀬の宴席では、春町が“へっぴり男”として放屁芸を披露。「狂名・酒上不埒!」と高らかに名乗り、笑いと拍手に包まれます。田沼意知は蔦重に対して蝦夷開発への協力を打診しますが、「今は自分のことで精一杯」として、蔦重は静かに断ります。
春町は過去の成功作家でありながら、筆を折り「自分は滑稽に向かない」と自己否定に陥っていました。劇中では、蔦重や歌麿たちが春町の元を訪れ続けることで、彼の中の創作意欲を根気強く掘り起こします。最終的には、「あえて滑稽を演じる」ことを通して、春町は創作における自分なりの居場所を見出し直します。
現代においても、クリエイティブ職や組織内で自己肯定感を失った人材への「再接続」は大きな課題です。メンタルケアと再起の環境整備、ピアサポートや心理的安全性の高いチーム作りが重要となります。蔦重のような「寄り添いながら道筋を示す」支援が、自己の再生に大きく貢献するのです。
2.才能の多面性を引き出す越境的視座
誰袖は花魁でありながら、自ら戯作者になりたいと申し出ます。蔦重は驚きながらも、彼女の新たな可能性に目を向けます。また、田沼意知に抜荷の手口を提案するなど、誰袖の言動は「遊女」の枠を越えた知性と行動力を示していました。
現代の課題と対応策
現代では、専門職の枠に縛られず、職能を越境して活躍できる環境が求められています。社内起業制度、副業容認、職種横断のプロジェクトが活発化するなかで、誰袖のような「本業を超えた才能の表出」をどう受け止め、育てるかが問われます。
3.表現と笑いによる関係性の再構築
宴の場で、春町がふんどし姿で放屁芸を披露する場面は、単なるギャグではなく「再生の儀式」として描かれました。仲間たちの笑いと共感が、彼にとって“受け入れられた”という確信に繋がります。これは表現と感情共有による人間関係の再構築の象徴でした。
現代の課題と対応策
ユーモアやパフォーマンスによる心理的距離の縮小は、現代においても重要なコミュニケーション手法です。雑談・遊び・緩和的イベントなどの“余白”が、業務以上に関係性を深め、創造性を支える基盤になります。
第22話では、春町の“復活”という一点に、自己再認識・表現・他者との関係性といった多層的テーマが詰め込まれていました。江戸時代の文化は、失われた筆を取り戻すプロセスにおいても、滑稽・笑い・狂歌という形式を通じて、社会的包摂を体現していたのです。
現代においても、自己表現を通じた再起と、それを支える文化的場作りの必要性は変わりません。蔦重が見せた“場の編集力”は、今後の組織文化や共創環境にとっても有益な示唆を与えます。
第21話・22話を通じて、蔦重は「人を育て、文化を育てる者」としての姿を明確にしていきます。政治と出版、吉原と庶民、作者と花魁といった“境界”を軽やかに越えていく蔦重の行動は、共創の視座から多くの示唆を与えてくれます。
1. 地域・庶民資源の再編集力
蔦重は蝦夷地開発や吉原の文化資源といった“非中央”の領域から新たな出版テーマを見出します。これは現代における地域資源の再編集・再価値化の取り組みに通じます。
2. 人材の回復とネットワークの再構築
春町や歌麿、誰袖といった「一度挫折した者」「周縁の者」を支え、共創関係を築いていく蔦重の姿は、現代の人材開発やレジリエンス経営の重要性を想起させます。
3. 感性と論理を両立する出版マネジメント
即興狂歌や戯れの中に風刺と構造性を込める春町たちの表現には、遊びと批評の両立という視点が宿っています。蔦重の出版戦略は、そうしたバランスを可視化する場の設計にも長けていました。
第21話・22話を通じて、蔦重は出版という枠を越え、「人と文化を再生させる者」としての姿を強めています。筆を折った春町、絵師として苦悩する歌麿、そして創作の場を求める誰袖。それぞれの“未完”を引き受け、表現の場を設計することで、蔦重はまさに“共創と再出発”の旗手となっていきます。
また、政局では蝦夷地開発の構想が進行し、文化・出版と政治の交錯がより緊密になります。文化は「制度の間隙」に咲くものであり、それを読み解き、仕掛け、支える者こそが新時代を拓く鍵を握るのです。
江戸から令和へと続くこの物語から、地域資源・人材・表現の未来を紡ぐヒントを、私たちは改めて受け取ることができるでしょう。
次回以降も、蔦屋重三郎の戦略と情熱を通して、江戸と令和をつなぐヒントを探ってまいります。 ぜひ、次回以降もご期待ください。
また、江戸時代の広告文化に興味を持った方は、ぜひ、引札についても興味を深めて頂ければと思います。
Tokyo Tokyo(東京おみやげプロジェクト)について
https://tokyotokyo.jp/ja/action/omiyage/
江戸時代から明治時代に使われていた「引札(宣伝用チラシ)」には、当時の日本の文化や暮らしが色濃く反映されています。私たちは、この歴史的に貴重な引札のデザインを現代に活かすため、東京都が進める「東京おみやげプロジェクト」に参画し、伝統的な日本の魅力が詰まった商品の開発と販売を行っています。
東京都と民間企業が共同で開発した伝統的な工芸品から文房具、食料品など、東京旅行の思い出をもっと楽しくするアイテム「東京おみやげ」のPR・販売拠点「# Tokyo Tokyo BASE」(羽田空港)で販売しています。
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